120年前、日本人で初めてネパールを訪れた「河口慧海」
*仏典を求め、日本人として初めてネパールを経てヒマラヤを超えチベットに入る
河口 慧海(かわぐち えかい、1866年2月26日(慶応2年1月12日) – 1945年(昭和20年)2月24日)は、黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。中国や日本に伝承されている漢語に音訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意。日本人として初めてチベットへの入国を果たした。 <ウィキペディア>
河口慧海の生家跡(大阪府堺市)には記念碑があり、すぐ近くには「堺市立町家歴史館 清学院」がある。(慧海が学んだ寺子屋を保存)ここには慧海ゆかりの品と資料が展示されていて慧海を偲ぶことができる。
鉄瓶に記されたヒマラヤの荘厳さを詠んだ慧海の和歌
金色雪山
寂金光 ゆるがぬ山の 荘厳に 魔王も夜叉も 怖ぢずやはある 慧海
パネルの中央部「ポカラ」の上部に記された「マチプサ」の文字。著書の「チベット旅行記」に「魚尾雪峯(マチプサ)」とある。我が愛する聖山マチャプチャレ(6993m)のことである。
*2018.1月 マチプサ(マチャプチャレ)に会いに行くことにした。先回見つけることができなかったカトマンズのボダナートにある「河口慧海記念碑」も探してきたい。